お客さんから「栗饅頭」をいただいた。
食べたいような、食べたくないような・・・そんな気持ちになる栗饅頭を毎日食べてたのは二十歳の夏。
<1983年 夏>
博多駅裏のデザイン事務所に務めてた当時、金が無く食うにも事欠いていた。
事務所近くの駄菓子屋に栗饅頭がたしか一個20円で売ってありしばらくの間、昼食をそれで済ませていた。
朝は元々食べない、夜は水道水をたらふく飲む。
たまに、見かねた事務所のチーフがまるたい棒ラーメンを買っておいてくれると、それを二日に分けて食べた。すごい贅沢感。
一度だけ社長がファミレスで晩飯をおごってくれたことがあり、その時に食べたハンバーグ定食の味と風景はいまでも忘れないくらい美味くて幸せだった。
<1983年 秋>
その後。食うや食わずの生活を三ヶ月続けてたら55kgあった体重が45kgにまでおちた。
デザインの仕事が自分の性格には向いてないとの思いもあり、これでは倒れてしまうと、元々好きでやってた飲食をきちんとやろうと中洲に面接へ。
飲食だととりあえずご飯が食べれるからとの理由もあった。
というかご飯を食べるのが第一義だった。
めぼしいお店に電話をすると、場所が分かりづらいからと中洲の橋に先方が迎えに来てくれることとなり向かった。
橋を渡るにつれ向こう側に立ってる人が見えてきた。
あきらかにその人が僕を待ってる人だと素振りで分かった時、走って引き返そうかと思った。
写真は映画のワンシーンだけど、こんな感じの人だったかと。
<中洲の裏のウラへ>
フルタさんですか?と問う男に違うとも言えずついて行くことにして、さていったいどこでお断りしようかとタイミングを計るばかり。
中洲大通りから脇道へ入り、さらにビルの隙間から裏口へ入り、通された部屋は狭く汚く、店長が来るからここで待つようにと言われてガクブル状態。
ほどなく店長という人が部屋へ入ってきたのだが、それはもう、まごうこと無く「あっち系」の人。そう、風貌は大仏様そっくりのパンチパーマの小太りさん。大仏さまごめんなさい。
「給料は25万」
「店休日はなしで、きみらも休みはないよ」
「でも人間だからね、休んでリフレッシュしなきゃダメだからさ、休んでもいいよ」
「でも、休んだら皆勤賞がその分8万円引かれるから」
「オモテで呼び込みやってくれたらプラスこれだけ」
「女の子の送迎をやってくれたらプラスこんだけ、あ、免許ある?」
云々かんぬんと色々聞かされ「実はこのあともう一件面接があるもので」と嘘八百言ってその場を立ち去り数時間後に電話で断った。怖かった〜〜。
中洲は怖いところだと熊本の田舎もんは半べそ。
その後みつけて入店したクラブはそれはもうキチンとしたとこでかなり勉強になった。バニーさんにも可愛がってもらえたしw
お客さんからもらった個包装の栗饅頭を見てて思い出した、というか忘れ得ない記憶。
まともに食事ができるいまはそれだけで幸せだと思う。
この栗饅頭、食べようと思いながらもう三日間開けれずにいる。
食べたいような、食べたくないような・・・。
posted by ふるちゃん at 18:41| 熊本 |
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
日記
|
|