今日のブログはちょっと長いです。ご辛抱下さい。
先日テレビ番組を見ていたら
「自分は誰の生まれ変わりか?」と言う企画があっていた。
もちろん科学的な根拠は何もなく、自分が生まれた日の前、
49日以内に亡くなった人の中から適当に選ぶというお遊びだ。
面白そうなんで少しルールを決め、僕もやってみた。
○誕生年月日の49日以内
○日本人
○三代遡るまず、僕は
1963年3月4日に生まれたのでそこから探すと・・・
前世は***************************************
菅野 圭介 1909〜1963 03 04没 洋画家 
キール港/油彩・キャンバス/1953年
東京高校卒。京都帝国大学を中退し、1934-36年欧州、ロシアなど滞在。
パリでマチスやフランドルに師事。サロン・ドートンヌなどに入選。36年より
独立展に出品し、38年独立協会賞、41年I氏賞、42年岡田賞を受賞。43年
同会会員。48-53年三岸節子と別居結婚。52年北米・南米に渡りブラジル、
サンパウロなどで個展。49年画号を圭哉と改め、54年以降は恵介と号した。
61年まで独立展に出品。
63年食道癌のため歿。
なんと、亡くなった日に僕が生まれてる・・・
う〜ん美大に進む予定じゃあったんだがこんな前世との因縁か・・・よし、そのまた前世は*******************************
二葉亭四迷1864〜1909年05 10没 小説家、翻訳家 
東京外国語学校露語科(東京商業学校)を中退後、坪内逍遥のすすめで
1886年『小説総論』を発表。翌年の処女小説『浮雲』は未完に終ったが、
写実主義の描写と言文一致の文体で当時の文学者たちに大きな影響を
与えた。先立って書かれた坪内逍遥の『当世書生気質』に色濃く残ってい
た戯作文学の影響を排し、日本の近代小説の始まりを告げた。またロシア
語が堪能で、ツルゲーネフなど同時代のロシア写実主義文学を翻訳、紹介した。
1909年5月10日、朝日新聞特派員としてロシア赴任からの帰途、ベンガル湾上
で
肺結核で死去、シンガポールで荼毘に付され、埋葬された。
ペンネームは、父親が文学志望を罵った言葉「くたばってしめぇ」から。
そ〜かぁ、本好きなのはこんな前世との因縁か・・・そのまたまた前世は**************************************
宮部鼎蔵 1820〜1864 07 08没 熊本藩士 
宮部鼎蔵(みやべ ていぞう、 文政三年(1820年)四月−元治元年六月五日
(1864年7月8日))は肥後国益城郡田代村の人。
幕末の勤王の志士。
勤王の志士の間では、主要なる人物であった。諸国勤王家は先ず、宮部に
会見することを以って 一つの事業としていたようだ。三十歳の頃には熊本藩
に召し出されている。長州藩の吉田松陰と知り合い東北旅行に同行する。
文久二年には
清河八郎も宮部を訪ね肥後に来ている。その後、京都に上る。
文久三年の八月十八日の政変後は一時、京を去るが、元治元年に再び京に
戻り古高俊太郎のところに 寄宿していた。
元治元年六月五日 池田屋で会合中新選組の襲撃に遭遇。
奮戦するが、自刃。(池田屋事件)そ〜かぁ、新撰組好きなのは・・・?って「敵」だったのか〜!!そう言えば小学、中学と剣道やってたっけ。
よ〜し今週から大河ドラマを見ずに「
竜馬が行く」を読もう!!
さすがにここから先は中々調査ができず、ここまでです。
まぁ自分の好きなように組み合わせたんですが結構面白かった。
別にこれでどーなるもんでもないんですがね・・・・
ヒマつぶしにはなりますよ・・・ヽ(´▽`)/
しかし、皆、普通には死んでないなぁ〜 (T_T)
posted by ふるちゃん at 15:26| 熊本

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